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数字が怖い

   私は日々数字に囲まれて生きている。それぞれの数字にはそれ自体に意味がる場合もあるし。その一連の数字があたかも固有名詞として私という人間を差す場合もある。俯瞰して数字を見ると、それは量や速度からはじまり、能率や正義や健康・不健康などを表現してのける。数字は便利、万国ほぼ共通。そしてまた、その背景にはしばしば人間の限りない欲望が垣間見える。私の意向にはかかわりなく数字は2018年の地球に生きている限り逃れることはできない。これは必要悪なのか?

今回の展示では、私にまつわる数字を列挙した。これが私の現在の姿なのである。

ラッキーナンバー:私にとって13はラッキーナンバーだと思っていた。ニューヨークのブルックリンで借りていたロフトの家番号は4階の13号だった。いわゆるペントハウス。スリッパ工場を区切った最上階のスペースで、仕事場と風呂場兼トイレには天窓があった。アメリカに行く前に住んでいた奈良のマンションでも最上階の4階に住んでいた。だから、何となく13と1+3=4で4は共々私のラッキーナンバーだと思っていたのだった。

大学の修士試験に挑戦した。その時の受験番号は13だった。これは何かの巡りあわせ、合格すると思った。しかし結果は不合格。13は私のラッキーナンバーではなかったのか?それとも落ちたほうがよかったのか?そもそもラッキーナンバーというのは、私の勝手な思い込みか?たぶんそうなのだろう。

母の命日:その日私は野外のインスタレーション作品を薄暗くなるまで作っていた。陽が傾き、体も冷え切ったところで家に帰宅。玄関のカギはいつもかけないことにしていた。なぜなら指が変形した母には、そのカギを内側から開けるのは大変なことだったから。ドアを開け玄関に入って「ただいま!」と声をかけた。しんと静まり返った空気。おかしいな、今日は外出するとは言っていたかったし、外出の時は母もカギをかけていくはずだった。私はあわてて靴を脱ぎ、居間に飛び込んだ。誰もいない。寝室も見た。トイレも見た。空だった。恐る恐る風呂場をのぞいた。そこに母は倒れていた。119に電話したつもりが109にかけていた。

一人っ子の役目として、両親を見送ることが私にとっての一大試練だと考えていた。父は8年前に母とともに見送っていたので、この日母が突然旅立って、私はあっけなくその一大試練を終えてしまった。

1年のカレンダー
ギャラリー内の防空壕跡

滑川みさに関わる数字生年月日・歳・体重・身長・収入・支出・番地・電話番号・会員番号・クレジットカードナンバー・マイナンバー・プレートナンバー・血液検査値・売上・プライマリDNS・番地・ID・レシートのバーコード・暗証番号・登録番号・整理番号・ご利用番号・給与・ラッキーナンバー・カード番号・東北大震災・母の命日・父の命日・おばあちゃんの命日・ワールドトレードセンターテロ・通帳残高・USBシリアルナンバー・サービスコード・配送会社お問い合わせ番号・PCサービス・引き換えコード・パスポートナンバー・ソーシャルセキュリティーナンバー・グリーンカードナンバー・証券番号・がん保険証券番号・基礎年金番号・自動車保険番号・郵便番号・LEDソーラーランタン販売証明書番号・火災保険ご加入証明書番号・神戸市墓地使用番号・組合員番号・お客様番号・車体番号・その他

​ギャラリーいろはに(2018)
​滑川みざ/なめかわみさ/MisaNamekawa
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